五.五感日記 〜I sometimes see ghosts and hear things〜

誰もがもってる「微」霊感があるだけ。第六感に満たない五.五感な日々の雑記。

霊はいるのか問題 ! 証明できる?

  霊現象については客観視しにくい、というかほぼ不可能という事実があります。主観が全てといっても良いかもしれません。微霊感などと言っているぼくも「霊がいるというなら証明しろ」と言われたら「できません」と白旗をあげます。なぜならぼくの主観の中でしか感知できない存在だからです。

 

 ぼくは心霊番組を見たり、スピリチュアルに関する本など読んだりしますが、その主な理由は自分と同じ体験をした人がいるのか、自分と同じ見えかたをするのか、という事を確認したくなるからです。

 

 「一緒だ」と思う事もあれば「自分とは違うな」と思う事もあり、半々といったところでしょうか。

 

科学的に幽霊の存在を証明する事ができるようになれば、と思いますが、もう少し先の未来の話になりそうです。

 

ですので、「幽霊はいるのか」という問いには「自分はいると思います」と返します。断定口調では言いきれないツラさがあります。

 

そのくらい曖昧な幽霊という存在ですが、だからこそ、というか、複数で同じものを見たときなどは、「怖い」より先に「嬉しい」という気持ちになります。

 

昔、夜中に友人と家で勉強していた時の事です。

その日は誰もいないはずなのに、人の気配がしたり「あ、今日、いるわ」と感じる日で、幽霊など見たことないと言う友人も「なんか気味が悪い」と言っていました。

 

畳に座ってコタツテーブルで友人と差し向かいで勉強していたのですが、ふと、頭上から気配を感じ、顔を上げると生首がぶら下がっていました。

長い髪の毛が上下左右に広がり、髪の毛で天井に吊るしてあるかたちになっていましたが、不思議な事に見えたのは後頭部のみ。

向こうを向いた生首を後ろから見ているという不思議な構図でぼくの中で「?」の文字が浮かびました。

 

気づくと、目の前の友人も顔を上げ、口を開けてあんぐりとしていました。

 

友人も生首を見たらしく、目が大きく見開かれてました。

 

ぼくは「口に出すなよ」と言って知らぬ風に勉強を続けました。

 

幽霊の対処法第一は無視です。人間も無視されるとツラいものでしょうが、幽霊も無視はこたえるのか、ちょっとしたものならば、無視し続けていると一時的にいなくなったりします。

 

気配が消え、しばらくたってから、友人がぼそっと「生首がいた」と言いました。

 

「自分と同じものを見た」と思ったぼくが、友人にどういう生首か聞くと、「髪の毛で天井にぶら下がっていた」とまったくぼくと同じものが見えていて、こう言っては何ですがとても嬉しくなりました。

 

唯一違っていたのは、友人が見たのは生首の顔の方だったという事。

女性の顔だったと言っていました。

 

当たり前といえば当たり前かも知れません。

ぼくと友人が差し向かいで座り、その間に生首が現れたのですから。

 

でも、これ結構嬉しかったんです。

 

主観でしか感じ取れないと思っていた霊の存在を、他者と同時に見ており、答え合わせもバッチリ。幽霊の前後も矛盾なくばっちり見え、一致。

 

少なくともこの友人との間ではしっかり幽霊の存在について確認、共有できたわけですから、嬉しくないわけありません。霊体験のツラいところ第一位は他人となかなか共感できないことだと思います。