五.五感日記 〜I sometimes see ghosts and hear things〜

誰もがもってる「微」霊感があるだけ。第六感に満たない五.五感な日々の雑記。

生まれてくる前はどこにいたの? 生まれてきた目的とは? 魂の話

こどもの頃の話なのですが、生まれてくる前の感覚を覚えていた時期があります。

 

確か、3、4歳の頃です。

 

外で独り遊びをしていたぼくは、ふと日の光に照らされていることに、突然、何とも言えない喜びを感じたのです。

 

見える、匂いがある、光を感じる、日の暖かさも、風も感じる、という事が心の底から嬉しくなったんです。

きっかけも何もなく、本当に突然の事でした。

 

「生きてるんだ」

 

と脈絡なく感じ、太陽に手を透かしてみて、

 

「すごいなあ、体があるんだなあ」

 

と感じ、

 

「ぼくは今、ぼくだけの意識があるんだ」

 

と唐突に思いました。

 

そして

 

「だって生まれてくる前のぼくは…」

 

とそこまで思って、(アレ、なんだっけ。どうしてたっけ?)と生まれてくる前の事が鍵がかかったように思い出せず、ただ、

 

「ずっと眠っていたような…」

 

とうすぼんやりとした感覚だけ思い出されました。

 

あの不思議な感覚は今思い出してもなんだったのだろう、という感じです。

 

大人になった今、太陽に手を透かしても、あの時のような鮮烈な感動はなく、こどもの頃の自分が感じ取った生々しい感動の感覚を追体験する事はできませんでした。

 

生まれてくる前の自分はどういう状態だったのか、あの時の感覚やその後の体験から、なんとなくわかった事があります。

 

生まれてくる前のぼくは、たくさんの魂の集まりの中の一つで、言うなれば、大きな泉の中の一滴の水のような存在でした。

 

「一滴の水」は「泉」から取り出して初めて「一滴の水」になるわけで、泉の中にある時は泉そのものです。「一滴の水」という個性は泉の中にある時は存在しません。

 

なので生まれてくる前、ずっと眠っていたような感覚というのは、ぼくという個性が未だ存在していなかったからだと思います。

 

それが、この世に生まれてくる時に肉体という器を与えられ、器の中に魂(一滴の水)が注がれてぼくという人間が誕生したのだろうと思います。

 

見える、聞こえる、暖かさや、風を感じる、というのはぼくだけが感じられる、ぼくだけのものです。そして嬉しい、悲しいと感じる感情もぼくだけのものです。独り占めできる感覚が与えられて、こどもの頃のぼくは嬉しかったのでしょう。

 

泉の中のぼくは、ぼくとして存在していないので、泉の中の感覚は全て共通体験です。眠っているのに起きているような、夢をみているような、そういう状態なのでしょう。

 

寄生獣というマンガがあります。そのマンガの中で後藤の一部となったミギーが、その時の事を、「眠っていながらも常にいろんな情報が心の中を駆け抜けていく感じだ…。それがなんとも気分よくて…。」と語る場面がありますが、それに近い感覚だと思いました。

 

ぼくが将来死んだ時、ぼくの魂はまた泉の中に戻され、ぼくの体験や感覚は泉の中で共通体験される事になるんだろうな、と思います。

 

生まれてくる最大の目的は、色々な感動や体験を泉の中に持ち帰る事なのでしょう。

 

生きていれば苦しい事、悲しい事もたくさん経験し、ズタボロになることもありますが、泉はすべて受け入れてくれます。 

 

感動とは感情が動くことです。泉という大きな魂の塊は常に感動を与え続けなければ維持できない仕組みになっているのだと思います。

 

ですので、生きているだけで、あなたが何かを感じ、心を動かしているだけで、充分意味のある事なのです。

 

いっぱい泣いていっぱい笑いましょう。

いっぱい愚痴や文句も言いましょう(笑)。

 

あなたが生きてるだけで価値があります。

 

ではまた。